捨て草稿 Dürer & 測距儀 「4の20」」 数学者 と 新米建築デザイナー

 

 

 

数学者ってのは、ガリレオ先輩のことだと思って

構わない。

 

同様に、中途半端な数学者ってのは、

アインシュタイン氏のことだと思って

構わない。

 

いきなり 大航海時代の夜空に、

 

話(はなし)。。。進めるより

 

ここで

話を整理しよう。

 

 

 

 

 

 

アインシュタイン氏が昔、日本列島に来たとき。

アメリカを訪問したときも

 

最初の頃は、客船だったのだろう。

 

アインシュタイン氏のことを

「中途半端な数学者と 俺が断定している」

と、貴殿の頭の中で

 

確定してもらった。

 

 

 

 

 

なんらかの事実判定、

社会的基準の数学テストとかで

 

ちゃんとした数学者であるか

 

数学イメージ処理と

日常イメージ処理が混濁した

中途半端な数学者であるか

 

判定できたら、

 

 

 

 

 

それは、俺の思い込みでなく、偏見でなく、

アインシュタイン氏の数学能力。。。

特に、イメージと、自己の立ち位置に関する方向音痴というか、

 

頭の中(なか)の形イメージと

頭の外の形イメージの違い

 

識別能力が、なかったとなる。

 

 

 

 

だが、この空間認識能力判定。

頭の中(内うち)でするイメージと

頭の外でするイメージ識別能力 

 

「被験者が持ってる/被験者が持ってない」テスト

 

公知になっていないので、

 

 

 

俺が アインシュタイン氏のことをイメージに関する

dyslexia 学習障碍者だと断定していることを

貴殿に確認してもらった。

 

アインシュタイン氏の追随者は

1次ソースを確認しろって

喚(わ)いている

 

1次ソースっていう、文献漁(あ)り

してるだけのことで、

 

己の生物学的身体、0次ソースで確認しない、

寓話「裸の王様」の登場人物達。

 

 

 

 

物理業界で、バカが地位占めて検閲。

物理業界で生きてく出世主義者の方々が

バカと いざこざ(検閲話題) 避けるのは当然。

 

ま、左翼体質の病者が官僚になるより、

社会的病者の収容所として機能してること自体は

 

評価してるんで、収容所を破壊するのは、

俺の本意じゃないんで。

 

ついでに、俺が小役人になってたら

最悪の小役人であった自信ある。

 

抜け穴 探しの 責任逃れの。

 

 

 

 

 

で、まず、社会的に認められてる

空間認識能力テストが あったとしたら、

それによって、能力の有無が、判別される。

 

医師免許持ってるから、医療行為が法的にできる。

医師免許持っていても、ヤブ医者かも しれんが。

 

 

 

 

 

次に、判別テストとか

免許制度がない(効かない)世界では、

 

個々人が、体験して、

この歯医者は痛くない施術能力あるとか。

 

ただし、医療として、患者は素人だから

適切なものであったかは、予後数年経って知るとかの世界では、

 

噂話。が、断定(先行)している。能力評価の優劣を。

噂話を受け入れるか、受け入れないか、個々の判断。

 

で、この俺は、アインシュタイン氏を空間認知能力の

学習障碍者と断定している。

 

 

 

 

素材としてのアインシュタイン氏。

素材の優劣を 判定した俺(噂話)。

そして、この俺を診察(評価判定)する貴殿。

 

なんとなく、3段階あるの わかってもらったと思う。

 

 

 

 

さて話を戻して、

 

客船の丸窓から、外の風景を見るアインシュタイン氏。

薄雲を通して、夜空に月を見るの同型。次に、

 

カフェで、対面して

テーブル挟んで 座って

対話している2人をイメージする。

 

テーブルは、2人の互いの距離、離れ具合を示す単語道具。

2者の相対性。

 

 

 

テーブル中央に

ピンポン、卓球台のネットのような、

卓球台のネットのように低いものじゃなく、

 

透明なガラスで、

空間を2つに分割しよう。

 

透明なガラスを ボーイング787の

電気的に曇りガラスにするような感じで

薄い色を付けたり、

 

薄い半紙。シルエットだけがわかる和紙のような。

 

 

 

 

こうすると、テーブル席で対面している2人は

互いの顔を直接 見ているんじゃなくて、

互いの顔表面を見ているんじゃなくて、

 

テーブル中央の色ガラスとか、

和紙に映る相手の影絵を見ていることになる。

 

中央に半径3cmの穴を空(あ)けたら

そこに厚さ0メートルのガラスがあると、宣言しよう。

 

これを想定平面と呼ぶ。

 

 

 

なんとなく覗き穴から見た

対面の相手の顔表面イメージ。

 

表情とかを

直接 見ているんじゃなく、

 

覗き穴に、iPhone とかのスマホ置いて、

iPhoneの裏側。外カメラで相手の顔

撮影して、

 

iPhone の液晶画面を見ている。

テーブル中央の、2人の間の。とこの。

 

 

 

相手のイメージを直接、相手の顔面皮膚位置で

見ているんじゃなく、

 

スマホが撮影したイメージを、

スマホ液晶に再描画したものを、

あるいは、和紙の影絵シルエットを

 

テーブル中央に、

 

カフェのテーブル挟(はさ)んで

互いの顔を見ている2人をイメージ。

してもらった。

 

 

 

 

2者の相対性概念から、

媒介項というのかな、

 

互いの顔表面の原子複数分布じゃなく

そこから放たれた光子群が

 

テーブル中央でイメージを作り、

スマホなら再描画。

和紙なら影絵シルエット。

 

 

 

 

相手そのものじゃなく、

見ているものが描く相手のイメージを

互いに見ている。

 

それを超越的俯瞰して、

三者として、貴殿が観察(診察)している状態、、、

 

イメージできたと思う。

 

 

 

 

 

身体体重国家の王としての貴殿が

 

アインシュタイン氏の弁論と

この俺の弁論を

 

裁判長のように、

 

検察側と弁護士を正面で戦わせるのを診(み)るのと、

 

 

 

 

 

 

 

身体体重国家の王としての貴殿が、

服の行商人として現(あら)われた俺の言葉。

 

「この服は知性の高いものにしか 見えない

色や形が。」

 

を、前にして、

 

俺の言葉をスクリーンに映った影絵として

そのまま受け取るのじゃなく、

 

俺の言葉は 所詮 スクリーンに映った影絵。

スクリーンの向こうに

 

俺の発言意図(いと)を読む。貴殿の妄想行為。

あるいは、己には知性があるハズだと幻想に包まれ

俺の言葉を そのまま、俺に関係なく、

 

貴殿発症(はっしょう)の幻想に包まれる。

 

 

 

なんとなくの位置関係、包含関係のいろいろが

想起されたと思う。

 

いちいち場合分け、分類しない。

 

01。0と1じゃなく、

量子コンピューターのビットのような、

干渉状態で、まず前振りした。

 

長くなったので、具体は次に。

 

 

 

ま、ここでは新米建築デザイナーの

頭ん中のことだけ 言及して閉じよう。

 

新米建築デザイナーは

適当な大きさの3次元空間。

 

現場で建設する建物のが収まる大きさ用意して、

建物の原子複数位置を設計図にCAD

「Computer Aided Design」で、描く。

 

 

 

 

原子粒々じゃなく、3次元立体容器として。

鉄骨とか丸窓。縦横幅(高さ)。半径半径厚み。

 

僕の作った カッコいい建築デザイン。

 

 

 

 

コンピューター内の3次元座標空間の

立方体とかに収まった建築モデル。

 

個人宅なら10x10x10メートルぐらい。

江戸城なら、10x10x10キロメートルぐらい。

 

大阪城に砲弾、ぶっこんだんだから

砲弾の軌道も配慮して立体的に高さも。

 

 

 

 

数学者の 1単位距離と違って

建築デザイナーは、

工学だから 物理学と同じ 具体的な長さが

 

座標の 1単位に、具体的な長さを重ねている。

 

 

 

 

建物完成時刻は意識するだろうけど

あまり時間に関して意識していない。

 

大きい建物は、完全な比例関係じゃないけど

工期 長くなりそうだぐらい。

 

数学者は、具体的大きさ関係ないから、

例えば、情報が1秒に1単位伝わると宣言するだけだから。

 

 

 

で、新米建築デザイナーは

頭ん中で、建物イメージを

彼が作る建物イメージより大きい

 

立方体空間で 包む。

 

このとき新米建築デザイナーは

俯瞰的な 鳥瞰図的な視線で、

己の身体位置や、己のリアル姿イメージしないで

 

僕のイメージした カッコいい建物。

 

 

 

 

建物イメージが入ってる立方体空間そのものを

その立方体空間から数学的に見ている。

 

でも、気付くはずだ。

 

頭の中、コンピューターが描いた製図空間内でなく、

実際に、遠くから建物を見た場合。

 

ギリシャ神殿のエンタシス。

 

 

 

製図空間で想定した

同じ太さの柱を並べると、

 

ヒトの眼には、同じ太さに見えない。

遠くから眺めると。

 

柱の傍(そば)にヒトが寄れば、

柱と柱の太さの違いは、

ヒトに比べて柱、大きいし、

2つの柱の違いを認識しにくいから、

 

視野内に2つを同時に収めて比較できないとかで。